葬儀に家族や血縁者の出席が不可欠な理由

送る儀式は臨終から始まる

死んだ人を送るにあたって、今の日本では葬儀を執り行うことが当たり前のように行われています。時代を問わず葬儀に込められた願いとして安らかにあの世で過ごしてほしいというものがあります。
送るプロセスというのは葬儀だけではありません。臨終にあたって、その死の瞬間を看取ることや葬儀後に遺体を処理すること、また葬儀とは少し離れた内容になりますが、その人の形見を処分したり、社会的なさまざまな手続きをしたりすることも同様にひとつの送るプロセスなのです。

社会的な意味での「死」を表現する葬儀

広い意味では葬儀はその送るプロセスの中心に位置しています。お通夜や葬儀など決められた手順の儀式を行うことで、ひとりの人間の死を実感していき、葬儀を行うことでその人に対する生と死の意識を変えていくのです。
現在ではそうした変化を最も感じるのは火葬というプロセスでしょう。動かなくなったものの生きているころと同じ姿形でそこに存在していたものが、遺骨という全く違った存在に変わるのです。その視覚的な変化は残された人にとって非常に大きく、死というものを否応なしに感じさせるのです。

葬儀に出席することで故人の死を実感する

臨終の瞬間が生物的な死を意味するのであれば、遺された人たちにとっての社会的な死を意味するのが葬儀でしょう。その人の生死というひとつの区切りをつけるために葬儀は必要不可欠なものであり、葬儀に出席するのとしないのではその変化に対する意識が大きく変わるからです。もちろんそうした役割は火葬にもありますが、生活を共にしたようなごく近い近親者でない限り、火葬や収骨という儀式には参加しないため、亡くなったという事実を近親者以外の人が葬儀なしで感じることは難しいのです。

葬儀に家族や血縁者が不可欠な理由は

現在では家族葬の割合が非常に多く、多くの葬儀が身内やごく親しい人のみで行われています。その背景のひとつには、亡くなった人の死の実感を届ける人が少なくなっているという背景もあるでしょう。亡くなる人の半分が80歳を超えている現在、その人と親しかった人も同様に80歳を超えていることが多いでしょう。そうした人たちに死を実感としてしっかりと伝える必要性を感じないということもひとつの家族葬が増えている原因なのではないでしょうか。