現在のような葬儀の形はいつ成立したのか

地域ごとの文化的な差が大きかった頃にはさまざまな形式の葬儀があった

現在では多くの葬儀が仏教形式で行われています。また自宅ではなく葬儀式場に僧侶を招き読経をしてもらうなか焼香を行います。これらの儀式は江戸時代に仏教が民衆のものとなってから作られたものです。
ではそれ以前の葬儀はどのように行われていたのでしょうか。
全国的にこうであるという葬儀の方法は当然のことながら当時の日本にはありませんでした。現在でも地域によって方言や食文化、さまざまなイベントに対する作法などには差があります。日本が現在のように統一されたひとつの国として完全に成立したのは明治時代以降のことです。明治時代に「日本」というひとつの国として完全に成立し、一律の法律やルールなどが設けられていくなかで少しずつ地域ごとの差がなくなっていったのです。
またテレビやラジオなどが普及し、全国的に鉄道網や自動車道路が整備され、他地域のことに触れることが多くなった高度経済成長期やインターネットが普及して瞬時に他地域のことを知ることができるようになり、少しずつそうした文化の違いが薄れつつあるのです。

江戸時代以前は定型の葬儀の形は民衆に定着していなかった

江戸時代に檀家のシステムが成立するまでには、それぞれの地域でそれぞれの身分にあった葬儀が行われていました。中には遺体を生活空間から遠ざけるだけというものや特段宗教的なことはなく、掘った穴に埋めるだけということもあったでしょう。

寺請け制度が成立する前の仏教僧の葬儀は

檀家制度が成立する以前に民間の葬儀を執り行っていたのは「聖」と呼ばれる民間の宗教者たちでした。その作法は一部現在のものと似たところがあります。それは死者に対して読経を行うという点です。
死者の魂は放置されることによって荒ぶり現世に悪影響を及ぼすと考えられていました。「聖」の唱えるお経は普段話す言葉とはかけ離れているため、その唱えた内容は一般民衆に決して理解されることはなかったものの、その不思議な雰囲気や繰り返し唱えられる言葉に何か不思議な力があることを感じ取っていたのでしょう。
近親者の死という誰もが体験しうる悲しみを癒すためのひとつのグリーフコントロールの方法としてこうした神秘的な儀式が必要とされたのです。

現在でも葬儀に宗教者が不可欠なのは

宗教は宗教ではありますが、現世利益的な面がなければ布教することは難しくなります戒律が存在するだけでなく、「福を招く」「病を治める」「災害を治める」「その土地を鎮護する」「死者の魂を弔う」「契約を結ぶ」などと言ったわかりやすい効能があるからこそ広く普及していったのです。
現在、直接的に仏教の儀式に触れることはほぼ葬儀が唯一のものとなりつつあります。そうした中で葬儀する場所が自宅から斎場へ、葬儀する形式が一般葬から家族葬へと移り変わりつつあります。そんな中でも葬儀を行うのに宗教者が欠かせないのは「死者の魂を弔う」のが宗教の役割のひとつであり、そうした方法で長年葬儀というものが成り立ってきた歴史があるからでしょう。