葬儀宗教としての仏教の歴史

意識することはないが仏教は生活の中に浸透している

日本における葬儀と仏教は現在では切っても切れない関係にあります。現在の葬儀の大半は仏教形式で行われており、また生活の中で仏教という宗教を最も体感するのが葬儀であるからです。普段生活をしていく中で身の回りにある寺院などを意識することはほとんどないでしょう。自宅から見える範囲に寺院があるのであれば否が応でも寺院がそこにあることを意識せざるを得ませんがそうではない人にとって、身の回りのどこに寺院があるかと聞かれても答えられないくらい寺院に対する意識は低いはずです。

もともと仏教は学問や上流階級への宗教だった

寺院や仏教が民衆のものとなってきたのは近世以降のことです。6世紀に仏教はすでに日本に伝来していましたが、その教義の内容は民衆には広まっておらず、貴族の鎮護や気筒などのため、また武士の祈念などのために利用されていました。仏教は身分の高い人のためのものであり、寺院は現在の大学院のように一部の先進的な研究機関でもあったのです。

江戸時代の寺請け制度で仏教は大きな転機を迎える

江戸中期になり、仏教は大きな転機を迎えます。外来の宗教であるキリスト教が政治体系を維持するのに邪魔であったため、江戸幕府はキリスト教の禁令を行うため寺請制度を定めました。これによって国民は仏教のどの宗派かに所属することを強要され、寺院によってあるしゅの戸籍管理が行われたのです。
もともと日本の土着の宗教であった神道が選択されなかったのは、神道が以前の為政者であった貴族のものであったのに対して、仏教は武士の為政者集団である江戸幕府により近いものだったからです。
現在の日本に生きる私たちにとって想像しにくいことですが、宗教は人を動かすのに非常に力が強く、仮に政治面経済面で国民の統制がとれていたとしても宗教をコントロールすることができなければ安定した政権を運営していくことはできなかったのです。
江戸時代において仏教は国教であり、庶民の生活に深く浸透していったのです。

日常に浸透したこころの支えとしての仏教

宗教の役割は祈りを対象として持つことであり、また同時に心の支えを具体的に形にすることでもあります。日常の信仰としてそうしたものがあり、また同時に冠婚葬祭などの人生の催事を司る役割もしていました。
そうしたイベントごとに関することは現在の日本においても多くの場所で見ることができます。たとえば盆休みや彼岸、多くの祭りなどはこうした宗教におけるイベントが形を変えて残っているのです。
日本人はよく無宗教だと言われますが、実際にはそんなことはなく多くの宗教的な儀式を柔軟に利用しています。そんな中で葬儀という宗教が不可欠なものを支えているのが現在の葬式仏教なのです。