埼葛斎場はどのような目的で作られどのような来歴を辿ったのか

日本は世界でも有数の火葬大国

日本は世界的に見ても非常に火葬の割合が多い国です。2016年の段階で日本の火葬率は99.9%以上。諸外国での同年の火葬率を見てみると台湾96.8%、韓国84.2%、スイス86.7%、タイ80.0%となっている。イギリスが77.1%、フランスが39.5%、ドイツが62.0%、アメリカが50%前後でロシアが9.9%ということを考えると日本の火葬率の高さが分かるはずです。

明治時代に伝染病予防の目的で火葬が広がり始めた

日本の火葬率が高まったのは明治時代以降のこと。それまでは墓地のスペース的な問題などから火葬が行われていましたが、1897年(明治30年)に伝染病予防法が施行され、死体から感染症を予防するために火葬が広がっていきました。

安定して火葬施設の設置が行われるようになった戦後に大幅な伸び

戦前の段階で50%以上の火葬率を占めていましたが本格的に自治体が火葬場を建設しはじめ火葬率が大幅な伸びを見せたのは1960年以降です。
火葬率と火葬施設には密接な関係があり、諸外国でも火葬率が急激に伸びた国はその背景として国や自治体によって急激に火葬施設が建設されていることがあります。お隣の韓国においても日本と同様に自治体による火葬場の建設によって火葬率が急激に増加しています。

埼玉県東部にある埼葛斎場の来歴

日本中の火葬施設の中には伝染病予防の機関によって建てられたものもあります。春日部市、蓮田市、白岡市、杉戸町で利用されている埼葛斎場ももともとはそうした来歴をもつ火葬施設のひとつです。
昭和29年4月に春日部町外5カ村伝染病組合立火葬場として埼葛斎場の全身が設立されました。伝染病の予防の一環として複数の村で使用できる火葬施設としてこうした組合・施設が作られたのです。その後市町村合併などで春日部市と岩槻市の2市で伝染病対策および火葬業務を共同で行っていましたが、業務のうちの伝染病対策を独自に行うため一度組合を解散、あらためて火葬業務のみを共同で行うために昭和31年1月24日に設立されたのが埼葛火葬組合です。
のちに杉戸町、蓮田町、庄和村、白岡町を加え、昭和61年には埼葛斎場組合と名称をあらためています。またのちに市町村合併などから岩槻市が組合を脱退。平成19年4月からは現在の埼葛斎場を利用して火葬業務を行っています。