変わりゆく葬儀、現在の葬儀の変化の流れは

二世代変われば葬儀の様相は一変する

葬儀というものは20年あれば様相が変わり、40年あれば大きくシステムが変わる可能性のあるものです。古くから変わっていないのは、葬儀の目的が死者を悼むものであるということだけです。現在一般葬と呼ばれている葬儀の形は主に1970年代ごろに定着したものです。
葬儀の取り仕切りというそれまで地域が担っていた役割を互助会や葬儀業者が取って代わるようになり、葬儀というものが全国的に定型化していきました。

バブル期には数百人が弔問する葬儀が当たり前のように行われていた

戦後高度経済成長期からバブル期にかけて行われた葬儀はそれまでの葬儀とは様相が異なり社会的儀礼の強い葬儀が多く行われていました。葬儀の主たる目的は遺族の悲しみをやわらげることや故人の死を悼むことよりも、その人が亡くなったことを広く知らせることやその家がきちんと葬儀を執り行えることに主眼が置かれていました。葬儀は会葬者の数や祭壇の大きさによって識別されるものであり、どこまで「立派な」葬儀を執り行うことができるかが葬儀の最も重要な項目だったのです。当時の葬儀は個人の葬儀であっても会葬者が200人から300人ということもざらにあり、そのうちの7割ほどは故人のことを直接知らないということもあったのです。

所属から個人へ。社会の変化と葬儀の変化

2000年以降、葬儀は社会的なものから個人のものへと変わっていきます。その背景には社会全体が、社会・世間・会社・学校などの所属するものから個人へと重点を変えていったことにあります。もちろん高度経済成長期やバブル期とは経済状況が違うという社会的背景も葬儀の変化とは関係性がないわけではありません。しかし、以前のようなどの葬儀でも非常に多くの会葬者がくるという状況から20年を経て葬儀は会葬者が多く訪れるものからごく親しい身内だけで行うものへと変化していったのです。

2010年ごろからメディアで葬儀のことが取り上げられたことも変化の一因に

また、メディアなどでの報道も一般葬から家族葬へのシフトに一役買っています。マスメディアなどで「0葬」「終活」「供養難民」など、それまで少しずつ起こっていた変化に名前をつけることで、従来とは変化した葬儀の形を一般に普及していったのです。
「家族葬」や「一日葬」、「永代供養」や「樹木葬」や「散骨」という言葉は現在では新しい葬儀の形や新しい供養の形として多くの人に知られています。
新しくニーズに対応した形式が現れそのサービスを従来のものと差別化を図るために名称をつけることによって、新しい形は広く普及し当たり前のことに変わっていくのです。