火葬の一般化と公営斎場の広がり

経済と技術の変化によって葬儀は変化した

経済の状況というのは世の中に大きな変化をもたらし、生活や社会の風景を一変させるものです。
近年の日本では、1960年代から1970年代の高度経済成長期にその社会の様相を大きく変えています。

日本の歴史における葬儀の様相を大きく変化させたのは江戸、明治、大正、そして昭和の戦後の高度経済成長期です。
江戸時代以前は現在のような儀式としての葬儀はごく一部の上流階級のみで行われていました。江戸時代を境に大都市を中心に現在のような宗教儀礼としての葬儀が広がっていき、またそれと同時に火葬の文化も広がっていきました。現在のように火葬は当たり前のことではなく、遺体を焼くために必要な燃料などを十分に確保できる上流階級だけが火葬を行っていました。

火葬と葬儀が大きく変化したのは

明治29年の段階では火葬の割合は26.8%。その後、伝染病予防対策として公衆衛生のために火葬を行うようになった明治30年を境に火葬の割合は急増していきます。過半数を超えたのは昭和15年のことだと言われています。
その一方葬儀が大きく変化したのは1960年代から1970年代のことです。高度経済成長によって国民の総中流意識が進み、だれもが現在の一般葬のような葬儀を求めるようになりました。
葬儀はどんどんと豪華なものになっていき、宮形の霊柩車や多くの花で飾られた祭壇などが当たり前の風景になっていきました。

葬儀専用の式場が作られ始めたのは1970年代のこと

1970年代には少しずつ現在のような斎場が作られるようになっていきました。斎場は葬儀を執り行うための施設です。こうした葬儀専用の式場ができたことは葬儀の形式と深い関係があります。
ひとつは自宅や寺院での葬儀を行う際に一般葬で多くの人が訪れた際に、その参列者の人を許容できる広さがなかったという点。もう一つは集合住宅が多くなり、そもそも自宅で葬儀を執り行うことが難しくなったという点です。
葬儀は開けた場所で行うものではなく室内で行うものであり、葬儀を執り行うために葬儀式場が利用されたのです。

葬儀専用の式場の利用数に比例して公営斎場の建設も進んだ

葬儀式場の利用が当たり前のこととなってくると、公営の葬儀式場が作られるようになっていきました。葬儀は宗教的な儀式であるため葬儀式場単独での建設ではなく、現行や新規の火葬施設を建設するにあたってそうした施設に併設して建設されたのです。現在では大都市を中心に火葬施設に併設された葬儀式場があり、そこで葬儀を執り行うことができます。
現在葬儀式場での葬儀の割合は全体の7割を超えており、葬儀は葬儀式場で行うのが当たり前になっています。